八甲田山雪中行軍遭難事件
映画や小説のスレはあるが、「史実」を語る場がないので…
あ
>「そこにいる」ことが重視されるようになったからだ。
教訓を引き出すとしたら「トップはやたらと現場に
しゃしゃり出るものではない」だと思えるが。
教訓を引き出すとしたら「トップはやたらと現場に
しゃしゃり出るものではない」だと思えるが。
>>12
それ以上に、どんな危機でも「そうか。大変じゃのう」ってな感じで鷹揚に構えているトップが
理想像とされた。
それから、陸軍の下克上が始まる。
それ以上に、どんな危機でも「そうか。大変じゃのう」ってな感じで鷹揚に構えているトップが
理想像とされた。
それから、陸軍の下克上が始まる。
つ湯
(´;ω;`)安らかに。
(´;ω;`)安らかに。
はぁ…。
はぁ…。
ずっしりと積もった雪を鍛えた脚力で踏みしめ 小隊を導くは サワホマレでオッケー
青森で観ました。映画とはぜんぜん別物で遭難事故という観点から
専門家や生存者の肉声インタビューもあって科学的に分析したりする
まさにドキュメンタリーでした。CGの地図が出てどういうふうに遭難
したのか、すごく分かりやすかったです。俳優は無名で八甲田山の
オールスターキャストとは比較になりません。が、中身は映画八甲田山よりも
ドキュメンタリー八甲田山のほうがリアルでした。地元のテレビでメイキングや
監督インタビューが放送されてました。欧米のマーケットが主で
日本の上映は一番最後らしく、今度の青森だけは特別みたいな
ことを言ってました。八甲田雪中行軍事件に興味のある人は
ぜったいに観たほうがいいかと。遭難原因も自分としては
驚きの新発見でした。
専門家や生存者の肉声インタビューもあって科学的に分析したりする
まさにドキュメンタリーでした。CGの地図が出てどういうふうに遭難
したのか、すごく分かりやすかったです。俳優は無名で八甲田山の
オールスターキャストとは比較になりません。が、中身は映画八甲田山よりも
ドキュメンタリー八甲田山のほうがリアルでした。地元のテレビでメイキングや
監督インタビューが放送されてました。欧米のマーケットが主で
日本の上映は一番最後らしく、今度の青森だけは特別みたいな
ことを言ってました。八甲田雪中行軍事件に興味のある人は
ぜったいに観たほうがいいかと。遭難原因も自分としては
驚きの新発見でした。
この事件の当時は119番は無かった。
何も怖いもの無し
何も怖いもの無し
かくして 5連隊は予行行軍で到達していた小峠を目指したが
この頃から様々な問題や事件が始まっていたと云う
田茂木野東方より 傾斜漸く急にして、行李の運動大に歎み、
隊に跟隋するに能はず。
こんずい : 跟隋 = 追随
行軍隊はしばしば想外の休止を行ふて
その来着を待つの止むを得ざるに至り、行軍は渋滞せり。
11時小峠丘陵に達するや、行李は到底四人を以って
運搬する能はざるをもって、
伊藤小隊をしてこれに助力せしめたり
遭難始末より
この頃から様々な問題や事件が始まっていたと云う
田茂木野東方より 傾斜漸く急にして、行李の運動大に歎み、
隊に跟隋するに能はず。
こんずい : 跟隋 = 追随
行軍隊はしばしば想外の休止を行ふて
その来着を待つの止むを得ざるに至り、行軍は渋滞せり。
11時小峠丘陵に達するや、行李は到底四人を以って
運搬する能はざるをもって、
伊藤小隊をしてこれに助力せしめたり
遭難始末より
雪の八甲田山で
ソリを放棄した青森5連隊は事実上行李輸送に失敗した
しかし帰営の選択肢はない
そして210名の部隊は、あくまで田代新湯を目指す
しかも残念な事に
行軍隊が鳴沢に陥ったあたりから天候は急変する
:夕方より大吹雪に変じ、到底進行の難きを認め・・・・
:天候俄かに変じて雪は頻りに降りつのり、風は烈しく吹き荒び・・・・・。
:寒気激烈、手套をとること能はず
:風雪はいよいよ激しく、地吹雪の音は薄気味悪く、積雪は胸を没し、
人間は歩くというのではなく雪の中を泳いでいるという状態であった。
また吹雪きのため視界がきかず前列のものがようやく見える程度で息もつまりそうであった
生還した小原・村松伍長の談
藤本曹長以下15名( ラッパ手一含む )の任務は
本隊に先行して田代に到り、ラッパでその旨を本隊に知らせた後
同地で宿営の準備をする事であった。
が、いつまで待ってもラッパは鳴らない。
それどころか、本隊は思わぬ形でその藤本隊と遭遇している。
映画にみられる絶望的な夕暮れを描いたワンシーンが印象的
環状彷徨(リングワンデリング)状態であった。
ソリを放棄した青森5連隊は事実上行李輸送に失敗した
しかし帰営の選択肢はない
そして210名の部隊は、あくまで田代新湯を目指す
しかも残念な事に
行軍隊が鳴沢に陥ったあたりから天候は急変する
:夕方より大吹雪に変じ、到底進行の難きを認め・・・・
:天候俄かに変じて雪は頻りに降りつのり、風は烈しく吹き荒び・・・・・。
:寒気激烈、手套をとること能はず
:風雪はいよいよ激しく、地吹雪の音は薄気味悪く、積雪は胸を没し、
人間は歩くというのではなく雪の中を泳いでいるという状態であった。
また吹雪きのため視界がきかず前列のものがようやく見える程度で息もつまりそうであった
生還した小原・村松伍長の談
藤本曹長以下15名( ラッパ手一含む )の任務は
本隊に先行して田代に到り、ラッパでその旨を本隊に知らせた後
同地で宿営の準備をする事であった。
が、いつまで待ってもラッパは鳴らない。
それどころか、本隊は思わぬ形でその藤本隊と遭遇している。
映画にみられる絶望的な夕暮れを描いたワンシーンが印象的
環状彷徨(リングワンデリング)状態であった。
マタギやサンカは雪を踏んで固めてその上に薪を敷きその上で炭を焼くんだが、それをしなかったの??
>>161
本雪中行軍の炉火は
雪に直に薪と炭で暖をとる顛末となり
溶けた雪で燃料の半数は無駄になり火の勢いは減衰します
また
米を炊く2斗炊き釜を設置する土台も雪の融解により傾斜した
という記事もあります。
そして
平沢第一露営地
明治35年 1月24日 : 1902年
午前 1:00
半熟の飯が210名に配布された
酒もふるまわれたが炊爨を終えた炊釜にて温めたせいか
異臭を帯びてとても呑めるものではなかった
遭難始末によれば
:猛烈なブリザードが発生し気温が-20度まで低下
:兵士に足踏みなどさせ凍傷を防がせた
:4時間休憩の後朝五時という出発予定が告げられた
しかし
大隊長は決断する。
中隊は、午前2時30分露営地を出発、帰営の途に就かんとす
遭難始末より
事由は仮眠に及ぶ兵士が出たため
2:30
行軍隊員は雪壕の外に集合・整列し、青森の屯営を目指す
本雪中行軍の炉火は
雪に直に薪と炭で暖をとる顛末となり
溶けた雪で燃料の半数は無駄になり火の勢いは減衰します
また
米を炊く2斗炊き釜を設置する土台も雪の融解により傾斜した
という記事もあります。
そして
平沢第一露営地
明治35年 1月24日 : 1902年
午前 1:00
半熟の飯が210名に配布された
酒もふるまわれたが炊爨を終えた炊釜にて温めたせいか
異臭を帯びてとても呑めるものではなかった
遭難始末によれば
:猛烈なブリザードが発生し気温が-20度まで低下
:兵士に足踏みなどさせ凍傷を防がせた
:4時間休憩の後朝五時という出発予定が告げられた
しかし
大隊長は決断する。
中隊は、午前2時30分露営地を出発、帰営の途に就かんとす
遭難始末より
事由は仮眠に及ぶ兵士が出たため
2:30
行軍隊員は雪壕の外に集合・整列し、青森の屯営を目指す
いい加減やめな
興味深い記事があります
後藤伍長の弁によれば、大隊長が倒れたのは
第二露営地を出た後、駒込川の本流と断崖に路を阻まれ
再び第二露営地に着く前で、しかも着いた時には既に絶命していたという
第5連隊遭難始末より 後藤伍長の談話
行軍を率いる大隊長の死は大隊の全滅を意味する
それゆえ後の青森5連隊本営での遭難に関する聞き取り調査の際に
大隊長は生きて救出されたという事を原則とし
聞き取り調書が調整された可能性もあるのではないでしょうか?
しかし本行軍は正史では
大隊は3度人事不詳になり3度蘇生し青森本営に生還しています
後藤伍長の弁によれば、大隊長が倒れたのは
第二露営地を出た後、駒込川の本流と断崖に路を阻まれ
再び第二露営地に着く前で、しかも着いた時には既に絶命していたという
第5連隊遭難始末より 後藤伍長の談話
行軍を率いる大隊長の死は大隊の全滅を意味する
それゆえ後の青森5連隊本営での遭難に関する聞き取り調査の際に
大隊長は生きて救出されたという事を原則とし
聞き取り調書が調整された可能性もあるのではないでしょうか?
しかし本行軍は正史では
大隊は3度人事不詳になり3度蘇生し青森本営に生還しています
>>185
本来、遠洋航海などで陸軍より脚気になりやすい海軍が
完全に脚気を克服していたんだから、海軍に習ってパン食にしたり、
麦飯にすれば良かったんだよ
森鴎外のように「陸軍衛生部のメンツ」に拘って、数万の兵を殺して
日本国を危うくするのが、帝国陸軍の本質だな。
インパールなんか牟田口や辻のメンツの為に数万の兵士を殺して
日本敗戦の原因を作りながら牟田口も辻も何の罰も受けていない。
本来、遠洋航海などで陸軍より脚気になりやすい海軍が
完全に脚気を克服していたんだから、海軍に習ってパン食にしたり、
麦飯にすれば良かったんだよ
森鴎外のように「陸軍衛生部のメンツ」に拘って、数万の兵を殺して
日本国を危うくするのが、帝国陸軍の本質だな。
インパールなんか牟田口や辻のメンツの為に数万の兵士を殺して
日本敗戦の原因を作りながら牟田口も辻も何の罰も受けていない。
>>186
海軍が失敗に対して責任をキチンと取らせる組織かどうかを問うているのに、それはズレた答だ。
ひょっとして、海軍には責任を問われるような失敗を犯した幹部などいないとでも言うのか?
海軍が失敗に対して責任をキチンと取らせる組織かどうかを問うているのに、それはズレた答だ。
ひょっとして、海軍には責任を問われるような失敗を犯した幹部などいないとでも言うのか?
>>186
海軍が失敗に対して責任をキチンと取らせる組織かどうかを問うているのに、それはズレた答だ。
ひょっとして、海軍には責任を問われるような失敗を犯した幹部などいないとでも言うのか?
海軍が失敗に対して責任をキチンと取らせる組織かどうかを問うているのに、それはズレた答だ。
ひょっとして、海軍には責任を問われるような失敗を犯した幹部などいないとでも言うのか?
二隊分離 青森へ そして後藤房之助伍長救助
明治35年 1月27日 : 1902年
午前 10:00
二隊分離の理由は青森に続く尾根が二つ存在している件で
選択に迷い全滅を避けるための知恵だった
神成大尉の進路を左は実は田茂木野に通じる道だった
最後の命令
鈴木少尉は高所に登りて地形を見んと別れしまま帰り来たらず
間もなく、及川伍長も凍傷と空腹と
寒気のため倒れたるをもって、十分に介抱せるもその甲斐なく
いかんともする事あたわざりし
残念ながら戦友を捨てて行進を続ける事となる
その前夜、神成大尉は後藤伍長の身にしみじみと応へければ
今はとて大尉を捨てて一歩先へ雪中を
泳ぎ進むうち、捜索隊のために救ひ出されたり
第5連隊遭難始末より
明治44年6月8日の東奥日報では
大尉は最早起き上がる力もない
伍長が助け起こして同行しようとすると、大尉は声も微かに
「 もう自分は到底いかんから伍長は急ぎ田茂木野へ行き此状況を報告してくれ 」
といわれる
伍長は大尉を捨つるに忍びず、死なば諸共、是非にと同行を勧めた所、大尉は声を励まして
「 今両人共死んだなら誰が報告の任にあたると思ふか。区々たる私情に駆られずに一刻も早く行け 」
と一身の瀕死、眼中に存せざる大尉の意気に余儀なくされ
涙を呑んで前進を初めたが
さて、雪は腰を没し、両脚は凍互して棒の如く関節の役目をなさないながら
心ばかりあせっても少しもはかどらぬ
殆んど昏睡状態で立ちすくんでいる内に
三神救援隊に収容されたのである
明治35年 1月27日 : 1902年
午前 10:00
二隊分離の理由は青森に続く尾根が二つ存在している件で
選択に迷い全滅を避けるための知恵だった
神成大尉の進路を左は実は田茂木野に通じる道だった
最後の命令
鈴木少尉は高所に登りて地形を見んと別れしまま帰り来たらず
間もなく、及川伍長も凍傷と空腹と
寒気のため倒れたるをもって、十分に介抱せるもその甲斐なく
いかんともする事あたわざりし
残念ながら戦友を捨てて行進を続ける事となる
その前夜、神成大尉は後藤伍長の身にしみじみと応へければ
今はとて大尉を捨てて一歩先へ雪中を
泳ぎ進むうち、捜索隊のために救ひ出されたり
第5連隊遭難始末より
明治44年6月8日の東奥日報では
大尉は最早起き上がる力もない
伍長が助け起こして同行しようとすると、大尉は声も微かに
「 もう自分は到底いかんから伍長は急ぎ田茂木野へ行き此状況を報告してくれ 」
といわれる
伍長は大尉を捨つるに忍びず、死なば諸共、是非にと同行を勧めた所、大尉は声を励まして
「 今両人共死んだなら誰が報告の任にあたると思ふか。区々たる私情に駆られずに一刻も早く行け 」
と一身の瀕死、眼中に存せざる大尉の意気に余儀なくされ
涙を呑んで前進を初めたが
さて、雪は腰を没し、両脚は凍互して棒の如く関節の役目をなさないながら
心ばかりあせっても少しもはかどらぬ
殆んど昏睡状態で立ちすくんでいる内に
三神救援隊に収容されたのである
p?^_^
近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
ES5YL
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これ調べたことある。
来た道を戻ろうとしたけど2、3日目に迷走して体力を失ってしまった印象を受けた。
下手に撤退しようとはせずにそのまま進んでいたら助かったのだろうか?
来た道を戻ろうとしたけど2、3日目に迷走して体力を失ってしまった印象を受けた。
下手に撤退しようとはせずにそのまま進んでいたら助かったのだろうか?
それでも杜撰だよな
情報あつめてできるだけの準備してからすべきだわ
情報あつめてできるだけの準備してからすべきだわ
まあ後からなら何とでも言えるわな
批評家気取りで好き勝手に言えるさ
批評家気取りで好き勝手に言えるさ
福島大尉は八甲田山という現場をよく調べ、メンバーも雪国出身者を選抜した
現場を知らない人が指揮したら大変なことになるという典型例
現場を知らない人が指揮したら大変なことになるという典型例
>>257
大方通久は地理の世界ではかなりメジャーな名前。
山口少佐と親戚って出典は?
大方通久は地理の世界ではかなりメジャーな名前。
山口少佐と親戚って出典は?
>>275
↓ ここにかなり詳しい出自が出ているが大川通久については触れられていない
http://y-kakusho.jp/toukou/toukou145.html
↓ ここにかなり詳しい出自が出ているが大川通久については触れられていない
http://y-kakusho.jp/toukou/toukou145.html
>>257
大方通久は地理の世界ではかなりメジャーな名前。
山口少佐と親戚って出典は?
大方通久は地理の世界ではかなりメジャーな名前。
山口少佐と親戚って出典は?
>>275
>>278
山口鋠は旧姓成澤・幼名鋠之丞。東京外語フランス語科から陸軍士官学校、戸山学校。
父の成澤良作知恒(幕臣で建築などの理系)は大川家から婿養子に入った。
大川通久の父と良作の父は兄弟。
また山口鋠の姉の夫は英学者(翻訳家)の渡部温(Wikiあり)
これ以上はまだ公開できません。
>>278
山口鋠は旧姓成澤・幼名鋠之丞。東京外語フランス語科から陸軍士官学校、戸山学校。
父の成澤良作知恒(幕臣で建築などの理系)は大川家から婿養子に入った。
大川通久の父と良作の父は兄弟。
また山口鋠の姉の夫は英学者(翻訳家)の渡部温(Wikiあり)
これ以上はまだ公開できません。
確か同じ様な時期にTBSのドラマで八甲田遭難をやっていたのだが再放送してくれないかな。
リメイクしよ~よ!自分の中では 配役決めてるんだよ。山口少佐には佐藤浩市。北大路欣也にも出演願う。はさすがに現役武官は無理だが序盤の重要人物、金木村の村長だな。あの眼力で 無謀な雪中行軍を諫めるんだ。
神成大尉は30代のイケメン俳優だな。
瀬戸康史辺りはどうだろうか?
神成大尉は30代のイケメン俳優だな。
瀬戸康史辺りはどうだろうか?
ゆきーのしんぐん。
当時斬新な演出だったのだろう。